小5のある朝。
登校中の列ごと、歩道に突っ込んできた一台の車。
理由は、居眠り運転。その車の下敷きになったのが、僕でした。
目を開けたら、視界いっぱいの車の底。動かない体。
車の下から、ただ叫ぶことしかできない自分。
大人たちが慌てて走ってくる姿だけが見える、無力感。
終わらない時間。あの日の恐怖。
そのあと僕は、救急車で運ばれて入院。
頭を17針縫う怪我。骨折、5か所。
大好きだったサッカーを奪われかけた現実。
医者から告げられた一言。
「頭の傷が、あと1センチずれていたら、今ここに君はいない」
生きていること自体が、ギリギリの奇跡。
不幸中の幸い。あとから聞いた運転手の事情。
生まれたばかりの子どもの育児。仕事との両立。
寝る間も惜しんで病院に通っていたという必死さ。
だからといって、「仕方ない」とは思えない。
でも確かにそこにあったのは、
子育てと車が生んでしまった、最悪の事故。
あの日から、僕にとっての車はワクワクじゃなくて、恐怖。
便利さじゃなくて、危険。本当は違うはずなのに。
本来の車って、家族で出かけるワクワク。
子どもの寝顔。どうでもいい話で笑い合う時間。
習い事の行き帰り、お出かけの道中、車という空間も、最高の時間に。
ただの移動手段じゃない。
家族の思い出が積み重なっていく「場所」。
だから僕は決めました。
車が怖いまま逃げるんじゃなくて、車のことを一番知っている大人になる。
選んだのは、カーセンサーという会社。中古車販売プラットフォーム最大手。
クルマを「売る側」のど真ん中の世界。
値段の決まり方。お店の事情。お客さんがどこで損をしやすいのか。
現場で、数字で、人間関係で、クルマ業界の裏側まで徹底的に学ぶ毎日。
でも、心のどこかでずっと引っかかっていたのは、
「売る側の都合」と「家族の本音」のズレ。
誰のためのクルマ選びなのか。守りたいのは、誰の命なのか。
そこで僕は、もう一つの原点に戻りました。
あのとき奪われかけた「カラダ」と「遊び」の時間。
だから今、僕は子どもたちに向けた習い事を仕事にしています。
走ること。遊ぶこと。
転んで、笑って、もう一回立ち上がること。
「当たり前」に動けることの尊さ。一緒にいられる時間の尊さ。
子どもたちが全力で遊べる場所づくり。
その行き帰りを支えてくれるのが、またクルマ。
ここで、点と点が線になりました。
車の怖さも知っている。車の楽しさも知っている。
売る側のロジックも知っている。
子育て家庭のリアルも、子どもたちの現場も見ている。
だったら僕はもう、「売る人」ではなくていい。
家族の隣に立つ人。第三者。中立。
だから今、自動車購入アドバイザーという仕事を立ち上げました。
子どもたちの習い事。家族のクルマ選び。
この二つをつないで、「安全」と「ゆとり」と「思い出」を増やすこと。
それが、なぜカーセンサーで働いたのか。
なぜ今、子どもたちの習い事をしているのか。
なぜ今、自動車購入アドバイザーを始めたのか。
すべての理由です。
一つでも多くの家族に、一つでも多くの車にまつわる幸せな記憶を。
だから僕は、子どもたちの習い事と、クルマ選びを仕事にしています。








